岐阜地方裁判所 昭和39年(行ウ)1号 判決 1966年3月28日
原告
大野悟由
被告
岐阜県教育委員会
須崎
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告が昭和三七年四月一日付で原告に対してなした岐阜県立岐阜工業高等学校教諭に補する旨の処分を解消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のとおり述べた。
一、原告は、岐阜県立揖菱高等学校に教諭として勤務していたところ、被告は、昭和三七年四月一日付をもつて、原告を同県立岐阜工業高等学校教諭に補する旨の処分(以下本件処分という)をなした。
二、本件処分は、次の理由から、地方公務員法第五六条に違反する不利益処文であり無効である。即ち、
1 原告は、昭和三五年頃より岐阜県高等学校教職員組合の役員として職員組合団体の正当な活動に従事し、昭和三五年には右組合揖菱高校分会委員兼西濃支部長、同三六年には西濃支部定通部長を歴任していた者であり、同三五年一一月頃の新教育課程伝達講習会反対運動に参加したり、同三六年一〇月頃の字力テスト反対運動を指導するなど、西濃地区における組合活動の中心的存在であつた。
2 右当時、揖菱高校の校長であつた訴外河村定芳は、原告の前記組合活動を著しく嫌悪して、昭和三五年六月頃よりしばしば原告の組合活動を阻害する行動に出たり、原告を監視する態度を示していたところ、同三七年二月頃、西濃地区教育研究会の講師選択問題で原告と意見が合わず決定的な対立状態を生ずるに至つたため、原告を西濃地区より排斥せんものと計り、ついに同月頃、被告に対し、原告を他校に転出させるよう具申をなすに至つた。
3 被告は、かねて原告が西濃地区において活発な組合活動を行つていること嫌悪していたところ、前記河村校長と原告とが対立状態にあることを奇貨として、同校長に対し、原告の転任の具申を行うよう強要し、もつて本件処分を発令したものである。
4 かように本件処分は、被告が原告の活発な組合運動を嫌悪すす余り、西濃地区より排斥するためになされたものであって、地方公務員法第五六条の不利益取扱禁止に違反する不利益処分であり無効である。よって本件処文の取消を求めるため、本訴請求に及んだ。
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。
一、請求原因の事実を認める。
同二の事実中、訴外河村校長より転任具申のあったことを認め原告の職員組合における経歴、組合活動等については不知、その余の事実を否認する。
二、本件処分は、教育行政上の必要に基づいてなされたものであって、適法かつ正当である。即ち、昭和三七年度には、揖斐高校において国語免許を有する教員が一名過員となる反面、岐阜工業高校において国語免許を有する教員を増員する必要があったので、被告は、同三六年度末において、教科上の人的施設の充実を目的として、「昭和三六年度末高等学校人事異動方針」に従い、人事異動の一環として、免許教科の関係から本件転任処分を発令したものであって、原告主張のような不利益処分をなしたものではない。
証拠として、原告訴訟代理人は、甲第一、第二号証の一、二、第三ないし第六号証を提出し、証人河村定芳、溝口成蔵、高水登、宇佐美賀之、安藤清、粟野素次、奥田司朗、河田清の各尋問を求め、原告本人尋問の結果を採用し、乙号各証の成立をいずれも認め、被告訴訟代理人は、乙第一、二号証を提出し、証人河村定芳、片岡精、溝口成蔵の各尋問を求め、甲号各証の成立はいずれも不知と述べた。
理由
原告が、岐阜県立揖斐高等学校教諭として勤務していたところ、被告が昭和三七年四月一日付で原告を同県立岐阜工業高等学校教諭に転補したことは当事者間に争いがない。
原告は、右処分が地方公務員法第五六条に違反して無効である旨主張するので、判断するに、証人宇佐美賀之、同安藤清、同粟野素次、同河村定芳の各証言および原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和三五年頃より本件処分を受けるまで、岐阜県高等学校教職員組合西濃支部において、昭和三五年には同支部長兼揖斐高等学校分会委員、同三六年には同支部定会部長兼分会委員などの役員などの員をつとめ、その組合活動が極めて活発であったこと、例えば、同三五年六月頃のいわゆる安保反対斗争に関し積極的な著名運動、宣伝活動をしていたこと、同年一〇月頃文部省主催の東海、近畿、北陸三ブロック新教育課程伝達講習会に参加する教員に対し不参加を呼びかける説得活動をしたこと、同三六年五月頃ILO八七号条約批准問題につき字習会開催を計画し、揖斐川町周辺の各単産労組にも呼びかけ、かつ、揖斐川地区労働協議会の結成準備に当ったこと、同年一〇月頃学力テスト反対運動を指導したこと、同三七年二月頃、教職員組合西濃支部と西濃校長協会との共同主催のもとに開催される予定であった西濃地区教育研究集会に、招へいすることに送っていた講師につき、校長協会より異議が出て、講師更送の申入れがあったところ、同支部がこれを拒絶するに際し原告が指導役割を果したこと、かかる原告の活溌な組合活動につき、当時揖斐高等学校校長であった訴外河村定芳は、これを快しとせず、原告に対ししばしば活溌な行動をしないよう或は謹しむよう要請し、忠告していたこと、特に前記教育研究集会講師招へい問題では、原告と意見が対立していたこと、がいずれも認められる。
しかしながら、本件全証拠によるも、被告教育委員会が、原告が組合活動をしたが故に、本件処分をなしたと認めるに足る適切な証拠はなく、却って成立に争いのない乙第一号証、証人片岡精、同河田清、同河口成蔵の各証言および前掲各証拠を綜合すると、岐阜県立揖斐高等学校において、定時制夜間部が昭和三四年度より募集停止となり、同三七年度末において廃止されることになっていたこと、従って同年度における夜間部担当の国語の教員が一名過員となる状態であったこと、そこで同校校長であった訴外河村定芳は、当時国語の教科免許を有し同校定時制夜間部に、在籍して国語の授業を担当していたのは原告のみであったことや、原告を岐阜市中心部の他校に転出させることが同人の利益にもなることなどの点を考慮して、被告に対し、原告の転任の具甲をなしたこと、他方岐阜県立岐阜工業高等学校においては、国語担当教員を増員する必要があったため、被告に対してその配置を強く要望していたこと、がそれぞれ認められ、これによれば、被告は、前記各校などの事情を勘案の上、人事行政上の要望に基づいて、本件処分をなしたことが認められる。もっとも、前掲各拠によれば、原告は本件処分当時転任の希望をしていなかったこと、本件転任によって肩書自宅より岐阜工業高校まで通勤時間に約一時間五〇分ないし二時間を費し、ために同校定時制夜間部の第四時限の授業が担当できないこと、原告には戦傷の後遺症があり長時間の通勤には相当な肉体的苦痛を伴うこと、本件処分時には、揖斐高校においてすら特に岐阜市内への転勤を希望していた教員の居たことなどが認められ、これによれば、被告の原告に対する本件処分が、人事行政上最善の策であったか否かいささか疑問なしとしないけれども、しかしながら、このことと前記原告の組合活動とを結びつけ、本件処分が原告主張のごとき違法性をもつものと認める徴憑とすることは到底できない。してみると本件処分が地方公務員法第五六条に違反する処分であるとの原告の主張は理由がなく、本件処分の取消を求める本訴請求は失当であるから、これを棄却することとする。
よって訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。